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MAKE UP

第494回例会

Rotary E-club of HYOGO

2025年4月14日開会

4月は環境月間です

はじめの点鐘

はじめの点鐘

ロータリーソング

SAA: 今週のロータリーソングは、「手に手つないで」です。元気よく歌いましょう。

  • ♪ 手に手つないでOpen or Close

    一、手に手つないでつくる友の輪
    輪に輪つないでつくる友垣
    手に手 輪に輪
    ひろがれ まわれ 一つの心に
    おゝロータリアン おゝロータリアン
    ニ、手に手つないでつくる友の輪
    輪に輪つないでつくる友垣
    手に手 輪に輪
    ひろがれ まわれ世界と共に
    おゝロータリアン おゝロータリアン

例会

会長の時間

皆さんこんにちは!

先週は全国各地で入学式が行われ、私の勤務校でもたくさんの新入生を迎えることができました。
ところで日本では春の4月に入学式を行う学校が多いですが、欧米では秋の9月入学(南半球は2月)が主流であることは、皆さんご存じであると思います。なぜ日本では4月入学が多いのでしょうか?

日本で現在に繋がる現代的な学校制度が成立したのは、1872年(明治5年)8月の「学制の発布」からです。それ以前に存在した教育機関として、江戸時代には寺子屋、私塾、藩校などがありましたが、それらは特に入学の時期を定めず、随時入学できたようです。

しかし、学制ではフランスを参考に全国を8つの大学区に分け、その下に中学区、小学区を置き、各学区にそれぞれ大学校・中学校・小学校を1校ずつ設置することとされ、一斉入学と一斉進級が基本となりました。また、学制の実施に当たっては小学校の教師の確保が急務となり、師範学校その他教員養成機関の設立も必要となったため、文部省では学制発布に先だつ1872年5月に東京に直轄の師範学校(後の東京師範学校、現在の筑波大学のルーツの一つ)を創設、9月に開校しています。このような経緯があり高等教育では9月入学が主流となったようです。

ところが、1886年(明治19年)に国の会計年度が「4月-3月」に変更となります。明治2年に国が会計年度の規定を設けた際は「旧暦10月-9月」と定められたのですが、その後に改暦されると、「1月-12月」、「7月-6月」などと変更され、最終的に1886年(明治19年)に「4月-3月」となりこれが現在まで使用されることとなりました。

「4月-3月」に会計年度が定められた理由は諸説あるそうですが、1873年(明治3年)には「地租改正」が行われたことが影響しているようです。江戸時代には年貢は現物納付でしたが、地租改正により租税は現金納付へと変更されました。当時の日本は農家が多く、農家は秋に収穫した米を現金に換えて納税する必要があります。政府としては、それから予算編成をしていくには会計年度を1月始まりとすると、とても間に合わないという事情があったため、4月始まりに落ち着いたということです。

この会計年度の変更に伴い、学校運営の予算執行上の都合から、高等師範学校は文部省の指示で4月入学となったそうです。その結果、全国の他の師範学校や小学校でも4月入学が広がり、現在の日本での4月入学が定着することとなったようです。

現在、米の品薄と米価の高騰が社会問題化し、昨年来「令和の米騒動」などと騒がれていますが、学校の入学時期一つとっても改めて日本はコメの国、稲作農耕文化に基づいて発展してきた国なのだなと痛感した次第です。

例会

幹事報告

お世話になっております。ロータリー米山記念奨学会です。

今月の“ハイライトよねやま”ができあがりましたので、お送りします。
ぜひご覧いただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

▼全文は、こちらよりご覧ください。
https://www.rotary-yoneyama.or.jp/content/uploads/summary/highlight301_pdf.pdf

(公財)ロータリー米山記念奨学会ニュース
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★ ハ イ ラ イ ト よ ね や ま 301号 ★  2025年4月14日発行
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::今月のトピックス::
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・ 第6代よねやま親善大使が決定! 7/1始動
・ 米山奨学生が感謝を表現 第2660地区学友会
・ 寄付金速報 ― 単月では例年並みの推移 ―
・ 2025学年度奨学生採用とオリエンテーション開催
・ 「人生の宝物」 世話クラブへのメッセージ

《今月のピックアップ記事》
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米山奨学生が感謝を表現 第2660地区学友会
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3月2日、大阪市内のホテルにて、国際ロータリー第2660地区米山学友会が「米山感謝祭」を
開催しました。「米山感謝祭」とは、米山奨学生がお世話になったカウンセラーや世話クラブ、
ロータリー会員への感謝の気持ちを伝えるため、奨学生自ら企画し、運営するイベントです。

当日は米山奨学生・学友47人、同地区の大橋秀典ガバナー、吉川健之ガバナーエレクトを
はじめ、多数のロータリー会員が駆け付け、参加者は106人となりました。

プログラムでは、「感謝の時間」と題し、奨学生たちがサプライズプレゼントや手紙をカウンセラー
に贈り、直接思いを伝えました。また、米山バンドによる演奏と合唱が行われ、大盛況の

イベントとなりました。
同学友会会長の呉偉偉さん(2010-11/青森東RC)は、「奨学生たちは約3カ月前から何度も
打ち合わせを重ねてきました。参加者からは『カウンセラーになって本当によかった』『自分も
カウンセラーをやってみたい』といった声も聞こえました。大きなやりがいと、米山奨学事業の
素晴らしさを体感できた一日でした」と述べました。

その他の記事は、ぜひPDF版をご覧ください。
→ https://www.rotary-yoneyama.or.jp/content/uploads/summary/highlight301_pdf.pdf

以上

※メールアドレスの変更、配信解除などのご希望がございましたら、
お手数ですが、このメールの返信にてお知らせください。
よろしくお願い申し上げます。

…………………………………………………………………………
公益財団法人ロータリー米山記念奨学会
事務局長 峯 純子
編集担当 長尾
Tel:03-3434-8681  Fax:03-3578-8281
問い合わせメール: [email protected]
米山記念奨学会ホームページ: https://www.rotary-yoneyama.or.jp/
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例会

卓 話

公衆トイレの設置:ロータリー初期の奉仕

ロータリーの初期の奉仕プロジェクトの一つとして、1905年にロータリーが誕生した米国中西部の産業都市、シカゴに公衆トイレを設置するプロジェクトがありました。クラブ会員が自らトイレを建設したわけではありません(現在では会員が自ら設置に携わることもあります)。しかし、今日と同様に、ほかの地元団体と協力し、都市部における衛生設備の必要性を訴え、プロジェクトの資金調達を働きかけました。

当時「comfort stations」(快適な場所)と呼ばれていた公衆トイレは、公園や広場などの人通りの多い場所の地下に設置されるのが一般的でした。米国の複数都市の市民リーダーや改革者は公衆トイレの必要性を訴え、シカゴのロータリー会員もその運動に参加していました。

ロータリーの創設者ポール・ハリスと会員のドナルド・カーターは、ほかのクラブ会員や団体と協力し、市内に公衆トイレを建設し、そのための支援を集める計画を立てました。

1907年10月、Chicago Daily Tribune紙(現Chicago Tribune紙)は、シカゴ・ロータリークラブが「ループ」と呼ばれるシカゴ中心街に公衆トイレを建設する計画を立てたことを報じました。同クラブは、その月の終わりにこのテーマに関するフォーラムを開催し、「この主題は多面的であり、事実を認識し、その重要性を十分に理解することから始めれば、最善の策を講じることができる」と指摘しました。クラブ、シカゴ市、その他の地元団体の代表者がこの会合で発表しました。議論では、シカゴが都市改善の最新手法に遅れを取らないようにする必要性が指摘され、プロジェクトの費用負担や、この取り組みが市の衛生状態や公衆衛生にどのような影響を与えるかについても検討されました。

この取り組みはシカゴ以外でも注目されました。12月には、ニューヨークで発行されている社会問題に関する週刊誌のCharities and the Commons誌が、シカゴには公衆トイレが不足しているという調査結果を報道しました。

このプロジェクトは、シカゴの醸造業者協会とステート通りの百貨店協会からの反対に直面しました。百貨店協会は公衆トイレを所有している店を代表する団体でした。当時の社会的通念では、男性はバーや自分の職場にあるトイレを使用することができました。しかし、女性が衛生設備を利用できる場所は限られていました。女性が利用してもよいとされていたトイレは、たいてい女性が買い物をする百貨店に設置されているトイレだけでした。

シカゴ市は当時、新しい市庁舎を建設中であり、そこに公衆トイレを設置することが提案されました。1908年3月までに少なくとも1カ所が承認され、その他の場所も検討されていました。シカゴ市とクック郡はそれぞれ、このプロジェクトに約2万ドルを拠出しました。

1911年1月、市庁舎の完成が近づいた頃、Chicago Daily Tribune紙は、「地下には男女用の公衆トイレがあり、ワシントン通りとラサール通りの角から入るようになっている」と報じました。

ポール・ハリスは後に、公共トイレの増設が提案されたものの、資金不足によりその計画が拡大できなかったと述べています。また、将来的に地下道路の建設も見込まれていたため、異なるアプローチが必要になると考えられていました。

現在でも、ラサール通りに面した市庁舎の外壁に、入り口の一つの輪郭を見ることができます。そして、ロータリー会員は今日も、世界中の地域社会に安全な水と衛生設備を提供するための活動を続けています。

この卓話は、MyROTARY に掲載された記事の引用です。ぜひこちらから全文をご覧ください。

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おわりの点鐘

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