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MAKE UP

第82回例会

Rotary E-club of HYOGO

2016年1月18日開会

1月25日、 Eクラブ新年会を開催致します。

はじめの点鐘

はじめの点鐘

ロータリーソング

SAA: 今週のロータリーソングは、「R-O-T-A-R-Y」です。元気よく歌いましょう。

  • ♪ R-O-T-A-R-YOpen or Close

    R-O-T-A-R-Y
    That spells Rotary;
    R-O-T-A-R-Y
    Is known on land and sea;
    From North to South,from East to West;
    He profits most who serves the best;
    R-O-T-A-R-Y
    That spells Rotary.
    R-O-T-A-R-Y
    That spells Rotary;
    R-O-T-A-R-Y
    Is one great family;
    Where friend-ship binds for man’s up-lift.
    Where each one strives his best to give,
    R-O-T-A-R-Y
    That spells Rotary.

例会

会長の時間

【1・17】 1・17、この日が来ました、忘れもしない阪神・淡路大震災です。

神戸市より阪神淡路大震災1.17のつどいが行われました。

趣旨は、『震災でお亡くなりになられた方を追悼するとともに、震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」の大切さを次世代へ語り継いでいくため』とのことです。

防災の意識も高まったはずですが、東日本大震災では、阪神淡路大震災の3倍の死者、行方不明者が被害に合いました。人間は自然の脅威に恐れて、同時に自然は人間に無限の慰めも与えてくれます。当時の言葉に、「想定外」がありますが、自然を超える想定をすることは不可能でしょう。

1・17は、亡くなった方への供養と共に、突然、大切な人を亡くした悲しさ、絶望感を体験した当事者の方の想いを和らげ、今を一生懸命生きることだと思い出させてくれる日だと思います。

「人間の浮草のような姿をよくよく見ますと、おおよそはかないものは、この世の始めと終わり、まぼろしのような一生です。」(白骨のご文章)

「人間のはかないことは、年をとった、若いという定めはございませんので、どなたも早く、まさかという、生死の問題を心にかけて、この一生を全うして下さい。」(白骨のご文章)

私の脳裏によぎる言葉があります。それは、「無常」。

生死を分けたのも無常。この状態が、続くわけでなく、雨が降ればやがて晴れます。

それが、人間も自然のごく一部であるゆえんかもしれません。同じ状態が続くわけでは無いという事です。

「過去の事をくよくよせず、未来を願うでもない」

今を生きるそれだけだと思います。

自然を受容して共生する考えを持つことで、自然支配から自然尊重へ、個人主義から共存依存といった具合に、無常や縁起、因果応報、輪廻転生という日本伝統的価値観を今一度考え伝えれば、進むべき道や生きる智慧を見出せるのではと思います。

人とのつながりを大切にして、震災の風化を防ぎ、思いをつなぐために・・・、

例会

幹事報告

Eクラブ新年会のお知らせ

日時 1月25日 19:00
場所 SASI DESIGN DOOR  http://sasi-d.com/other/679/
  • FBにてイベントを立ち上げています。Eクラブ会員多数ご参加をお願いいたします。
例会

委員会報告

寒中お見舞い申し上げます。
お世話になっております。ロータリー米山記念奨学会です。

今月の“ハイライトよねやま”ができあがりましたので、お送りします。
ぜひご覧いただければ幸いです。

本年も何とぞよろしくお願い申し上げます。

▼全文は、こちらよりご覧ください。
http://www.rotary-yoneyama.or.jp/summary/pdf/highlight190_pdf.pdf

(公財)ロータリー米山記念奨学会ニュース
………………………………………………………………………
★ ハ イ ラ イ ト よ ね や ま 190号 ★  2016年1月14日発行
………………………………………………………………………

::今月のトピックス::
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・寄付金速報 ― 今年もよろしくお願いします ―
・台湾米山学友会が総会を開催 ― 新理事長が決定! ―
・タイ米山学友会が海岸清掃活動
・学友の団体が法務大臣賞表彰を受賞!
・米山学友が年賀状をデザイン

<お知らせ>
・ご寄付の確定申告用領収書について

《今月のピックアップ記事》
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米山学友が年賀状をデザイン
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米山記念奨学会事務局では、評議員・理事・地区米山奨学委員長・
他団体など、毎年約500枚の年賀状を送っています。
今年は、第2680地区の米山学友、林資穎(リン シエイ)さん(台湾/
神戸西神RC)が年賀状のデザインをしてくださいました。

林さんは神戸芸術工科大学大学院を卒業後、水墨画アーティストと
して活躍中です。昨年は、同地区学友会の企画でネパール大地震
復興支援のチャリティー絵皿を制作し、募金活動へも貢献しました。

【林資穎さんからのメッセージ】
申年の年賀状をデザインさせていただき本当にありがとうございます。
ロータリーの輪をイメージしました。お父さん猿が家族の基盤を支え、
家族みんなが協力し合って大事な役割を果たしています。良い家庭が
あってこそ世界がうまく回っていくのかなと思います。
皆さんにとって、平和な一年になりますよう心からお祈りいたします。

そのほかの記事は、ぜひPDF版をご覧ください。
→ http://www.rotary-yoneyama.or.jp/summary/pdf/highlight190_pdf.pdf

┏━━━━━━‥・・・
◇ お知らせ
┗━━━━━━‥・・・

・ご寄付の確定申告用領収書について ~1月末日までにクラブへお届けします~

昨年1年間(1~12月)に特別寄付をしたすべての方、もしくは
普通寄付金の領収証を申請したクラブには、1月末日までに
(確定申告に間に合うように)、認定証の写しが付いた申告用
領収証をロータリークラブ宛に送付します。

以上

※メールアドレスの変更、配信解除などのご希望がございましたら、
お手数ですが、highlight@rotary-yoneyama.or.jp宛にお知らせください。
よろしくお願い申し上げます。

…………………………………………………………………………
公益財団法人ロータリー米山記念奨学会
事務局長 岩邉俊久
編集担当 野津・峯
Tel:03-3434-8681  Fax:03-3578-8281
問い合わせメール: highlight@rotary-yoneyama.or.jp
米山記念奨学会ホームページ: 
http://www.rotary-yoneyama.or.jp/

例会

卓 話

今回の卓話は内山正之が担当させていただきます。

大阪府吹田市の江坂で出版社をやっています。

一昨年「関西電力と原発」という本を出しました。 高校時代、原発は大丈夫なのだろうかと疑問を持ち、大学の時、サークルでバスをしたてて美浜原発を見学に行ってその疑念は増しました。

いつかは、原発を検証した本を作りたいと漠然と思っていました。

それが、創業12年目にようやくできました。 ただ、原発批判を最初から目的にした本を作る気はなくなっていました。 むしろ、「原発いるんじゃない」と思っている人に読んでもらえる本をと思い、著者にも、そのスタンスで書いてもらいました。

この本では、若狭湾の原発が事故を起こしたらどうなるかを解析し、日米原子力協定など、日本だけの都合で止めることができないという話も入れました。また、大阪の中小企業も取材し、安い電力を必要としている経営者たちの切実な声も載せました。

所詮機械ですから、事故が絶対起こらないということはありません。ひとたび事故が起これば、琵琶湖を汚染し、結果として危険値を大幅に緩和して、放射能水で大阪・京都・神戸の人は暮らすことになるんでしょう。それにしても、今があっての将来です、商工会議所の仲間の意見もそうでしたが、そんな先のことは考えてられない、今、食うことが大事なんだの声も傾聴しなければなりません、原発立地区域の利権者もそうなんだと思います。

安倍さんの安保法案も一緒です、今、アメリカについていかないと大変なことになる、その危機意識があるんだろうと思いますし、憲法の問題を横に置いとくと、現時点だけを考えればありなんだろうと思います。 ただ、結果的に大きな危機を内包することになりました。これで、イスラム国に自衛隊が行くことも可能になりました、アメリカの期待もそこにあるのでしょう。

会社を始めて、理解できるようになったことがあります。 「今日がなければ、明日はないじゃないか」 でも、本当の本当は、それではいけないと思っています。 先日、関電の子会社の方が営業に来られました。電気の自由化で安くなるそうです。 「?」「?」「?」ですよね。

関電さんは去年値上げしました。 子会社ということは、関電さんから電気を卸してもらっているということですよね、施設も、関電さんのものを使う、子会社は当然マージンを取ります。 しかも新規需要ではありません。 関電さんが値上げしないといけないぐらいアップアップなら、安くなる分10%近くと、子会社の利益はどこから出ているのでしょうか。 そこは、また取材していかないといけないんだろうなと思います。

原発を、本当に必要としているのは誰なのか、疑念がわきます。 2002年創業、なんやかんやでここまでやってきました。 大学を卒業して最初に入った会社は、大阪で学習参考書や人文関連の専門書、文芸書を出版していた駸々堂出版でした。

社会悪と戦うぞと思い、当時「反権力・反資本」を旗印にしていた立命館に入り、使命感に燃えて、大手出版社を受験したのですが、ことごとく失敗、そこで、新聞広告を見て入った会社が、駸々堂。創業してから100年以上もの歴史のある老舗出版社でした。 ここで、営業部に入りました。

編集部に入り、社会悪と・・・、と思っていたのですが、会社というとこは、そんな正義感より収益が大事ということで、ひたすら、全国各地の本屋さんを回って棚整理をし、注文を取って回りました。このときですね、作りたい本を出すには、自分で出版社をやるしかないかと思ったのは。

この会社にいた時、自分でミニ出版社を立ち上げ、「関西の出版社600」という本を出しました。まだ、3店舗しかなかったジュンク堂書店と一緒に、関西の出版社全社フェアーと銘打って600社の本をサンパル店の喫茶に積み上げ、関西の出版社の現実を書いたパネル展示を行い、新聞やテレビでも取り上げられました。NHKなんか特番まで組んでくれました。

「関西に600社も出版社があったとは!!!」 思えば失礼な話です、日本の出版の発祥の地は大阪ですし、京都には何百年もやっている出版社もあります。 学習参考書や小中高大学の教科書、仏教書が中心なんで、本屋さんにどーんと積んで売っているのを見ることはないのですが、なくてはならない存在です。

いろんな経緯で、入社4年目に労働組合の委員長をやることになって、団体交渉をやったり、ストライキをやったり、東京にデモに行ったり、それこそいろんなことをさせてもらいました。 そんなとき、エルマガジンから、書籍をやりたいけど、雑誌販売ノウハウしかないので、来てほしいという話に乗って、移籍しました。年収が500万から300万に落ちました。

でも、当時のエルマガジンは、関西で20万部売っているという話でした。 駸々堂の本は、全国の本屋さんで売って5000部とか7000部ほど。それが、関西だけで20万部は嘘やろと思っていたのですが、ほんまに売っていました。 ちなみに、当時の関西エリアの本屋さんの出版物販売シェアーは20%ほど。となると、20万部は全国換算で100万部ぐらいの勢いです。

入社して最初に担当したのが、女性誌サヴィでした。毎号広告が5000万ほど入り、売り上げは定価500円で8万部、下代で2000万ほどですね。製作費は2000万から3000万、月刊誌なのに発売から3日で市場からなくなっていました。

なにしろ卸価格より原価の方が高いので、会社が刷らせてくれないのです。広告は入りすぎて製本できないところまできていて、パンパンになっていました。 そこで、足りないながらも、せめて書店さんに平等に売ってもらおうと、自転車で大阪市内を走りまわって、平均より残っている本屋さんからは引き揚げ、売れすぎている本屋さんに運ぶ、ちょうど新聞屋さんが使っていたような自転車を買ってきて、頑丈な荷台に雑誌を積み上げて走っていました、雑誌は重いんで、ハンドル部分が上向きになって、さながら、サンダーバード二号の発射前の姿みたいでした。

この好景気感は、阪神淡路大震災の日、ふっとびました。 ここに14年いました。 最後は、販売部門の責任者をやっていたので、死にそうな忙しさで、休みの日もなく残業が月150時間近くまで増えました、冷静に今考えると、ばてばてでやったのですごく非効率で無駄なこともやっていたんだと思います、ただ、やってみたい営業手法は、たいていやることができました。 このままでは死ぬなと思った時、嫁から、「辞めたらいいやん、専業主婦をやってくれるのなら、食べさしてあげるから」と言われ。

自分で作った本が思うように売れなかったタイミングで、責任を取る形で、辞めました。 あのままやっていたら、今、生きてないでしょうね。 ともかく、一日中家にいる生活が始まりました。 朝食を作り、掃除をし、昼食を食べて、洗濯し、買い物に行って夕食を作る、毎日がその繰り返し、新聞とテレビのワイドショウしか情報の無い日々は、辛かった。

耐えられなくなって、退職金300万を使い切るつもりで、日本一周の旅に出て、全国各地の出版社を訪ねました。そして、出版の話を肴に飲む。 人生終わったと思っていたのが、すこぶる元気になりました。 帰ってきてから、嫁のすすめで、マックを使ったDTPの学校に3か月通いました。 終わると、豊中市がやっていた創業者セミナーを嫁が見つけてきて参加しました。

ちょうどこのころ、あまから手帖から、営業ノウハウがないので、指導に来てほしいというお話をいただき、顧問の仕事を始めました。 なんか、わくわくしてきました。 そんなとき、大手のフリーペーパーの会社と地方のタウン誌の出版社と合同で出版社を作るので、社長をやらないかというお話をいただきました。 私は300万、そこに両社とほか一社で合わせて700万ほど出資するという話でした。 条件は、タウン誌が地方でやっている本の関西版を作って売る、この一点だけ。

なんかむずむずしてきていたので、この話に乗って、300万の資本金を入れ有限会社を立ち上げました。 ところが、その条件の本が、どう考えても売れるようものではありませんでした。 人口比で言うと、関西の人口はその地方の10倍近くです、しかし情報の多い関西の読者の要求レベルは高いのです。 正直に、赤字予算を組んで計画書を出しました。 すると、今まで温厚だったその会社の社長が烈火のように怒りだしました。 その場で、これは一緒にできないと判断して、お断りしました。 今思えば怒るのも当然なんです、わかります。 その社の企画の全否定ですから。 もっとましな言い方があったよなと思いますが、逆に媚びて引き受けるということをしなくて良かったと思います。

そんなわけで、西日本出版社は後ろ盾なしに船出することになりました。 その後、2社は独自で出版社を立ち上げ、予想通り本は売れなくて、2年後店じまいをしたようです。 ただ、2社の現場との関係は良好で、売れそうなものはうちが発売元になったり、また、編集をこちらからお願いしたりと、今でも一緒に活動はしています。 しかし、会社を作ったのにやることがないという困ったことになりました。

そこで、京都で女性誌を発行していたリーフに、京都のガイドブックを作ろうと提案しました。 京都の中だけで、月刊リーフは売られていたのですが、京都の情報は全国の人たちが欲しがっています、全国向けのガイドブックは絶対需要がある、しかも地元発信という、大きな強みがある。広告も、本誌は地元向けの広告主しかお付き合いできなかったのが、ガイドブックは全国向けなので、新たな広告主とも仕事ができる。 加えて、私が、全国の書店さんを回って営業し、販売収益を上げていく、そういうスキームで、契約書を結びました。

このガイドブックは、今も年度版で、形を変えながら発行されています。 ガイドブックの売り上げから、一定割合のお金をいただくという契約でした。 創業一年目は、この仕事に没頭し、売り上げもリーフ関連だけでした。 今は、顧問契約になって、月1万で月一回販売や編集会議に参加しています。 同時に、出版社としての活動も始めました。

出版卸7社と契約を結び、エルマガ時代に出したいと思っていた著者を訪ねて、原稿をお願いしてまわりました。 エルマガジンでは、販売担当ですから、売れないものは作れません。 販売目標部数も最低30000部、会社員人生最後の本でその数を達成できなかったのを理由に辞めたんですが、10000部しか、いや3000部しか売れないけど、面白いもの、残さないといけないものは、たくさんあります。

企画書を書き、それを月次で予算化していきました。 3年目まで計画通りでした、実はエルマガでは経営会議にでるのが一番嫌でした、そんな暇があったら、本屋さんに営業に行こうよ派だったんですが、今思うと、この経験が生きました。

さて、創業第一冊目が、元NHKアナウンサーの寺谷一紀さんの「ぼくがナニワのアナウンサー」。 2冊目が、讃岐うどんブームの立役者、映画UDONの原案というか、ネタ元になった「超麺通団」、著者は、香川では、出版社の社長にして、テレビのコメンテーターにして、深夜放送のDJ、深夜放送では、ある雑誌の人気投票企画で、香川のローカル番組なのに、全国放送のオールナイトニッポンと競り合ったという逸話も残っている、香川のスーパースター田尾和俊さんです。

「超麺通団」シリーズは、文庫も入れると今7点出ていて累計売上12万部ぐらいになると思います。 今も、続編をお願いしています。 3冊目が、今絶版になっていますが「大阪たこ焼33か所めぐり」、日本コナモン協会を立ち上げたばかりの熊谷真菜さんの本です。 熊谷さんは、大学の後輩で、20年以上前「たこやき」という本を出した時、本屋さんでばったり再会。 「ぼくがナニワのアナウンサー」の出版記念パーティに何の縁なのか来てくれていて、そこで、卒業後二度目の出会い。 出会った翌日から、まだ暇だったこともあって、二人でたこ焼きを毎日食べ歩いた成果が、この本です。

その次の本は、「大阪たこやき33か所めぐり」の取材に来てくれた浦谷さおりさんの「ぬーやるばーがーなんたることだ」。取材は、たんなる著者インタビューだったんですが、たこ焼きのことがわからないとあかんと、一日中たこ焼き屋さんに連れまわして、勢いで飲みに行った席で話してくれた沖縄のことが面白くって即座に執筆をお願いして作った本です。 そんな風に、出会いが出会いを呼んで、本を出し続け、もうすぐ創業14年目に入ります。 創業年の売上が200万円。 去年の売り上げは7000万円です。 私の年収は、今実質100万円ほど。

最初の5年は、基本的に無給でしたが、なぜか増えていった、ほかの出版社の顧問業の収入や、なぜか頼まれた大学講師をやりながら、続けてくることができました。 ピンチになると、幸運が来て救われ。 ラッキーやなあと思っていると、それがチャラになるような不運が来ました。 その振り子に乗っているうちに、ふり幅がだんだん大きくなってここまで来ました。

出版の場合、卸しに本を納品してから、支払いまで8か月。 納品した分から返品分を引かれて、入金されます。 うちは、だいたい2年から3年がかりで本を作っていますから、へたすると4年間資金が寝ます。ここが苦しい。途中で企画が立ち消えになることもあります。 そんなことを繰り返しながら、年間平均8点の本を送りだしています。

出版の世界は、もう20年間右肩下がり、毎年6%ほど売上が減ってきています。 20年前2兆6千億あった業界売り上げが、今1兆6千億ほど、1980年代の水準まで落ちてきました。それを補うように、出版点数は、当時の倍に増えています。多品種、薄利、少量販売、なんですね。

正直厳しいですが、楽しい。 商売で儲けるというより、この楽しい日々を続けるためにやっているというのがほんまのところです。

高校生の時、「反権力・反資本」がテーマでした、大学でもそうでした、今も基本的にはそうです。平等でみんなが楽しく生きていける社会、そのために情報を発信するメディアでありたいと思ってここまできました。そういった意味では、社会運動だと思って始めたので、儲けの話をするのはおこがましいのですが、利益を上げないと続けられないんだということを今になって痛感しています、また、同居人から「汚れてしまっている」と言われるとちょっと下を向いてしまう自分もいます。

万葉集の本、古事記の本、奈良の庭の本、大阪の芸能の本、女性の生き方本、心理学の翻訳本、能の本、黒糖焼酎の本、砥加羅列島の本、兵庫県の里山エリアのガイドブックが2点、神戸阪神間のガイドブックが4点、自転車本が2点、を今作っています。

原発再稼働にともなって、あらたな議論を喚起する本も必要かなと思い、軽い打ち合わせを始めました。 真正面から正義を振りかざす本はありませんが、まっとうさと言う刃は潜ませて作っているつもりです。

昨年秋に出した「黒島を忘れない」で、出版点数が101になりました。

例会

おわりの点鐘

例会

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