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MAKE UP

第468回例会

Rotary E-club of HYOGO

2024年8月19日開会

8月は会員増強・新クラブ結成推進月間です

はじめの点鐘

はじめの点鐘

ロータリーソング

SAA: 今週のロータリーソングは、「奉仕の理想」です。元気よく歌いましょう。

  • ♪ 奉仕の理想Open or Close

    奉仕の理想に集いし友よ   御国に捧げん我等の生業
    望むは世界の久遠の平和   めぐる歯車いや輝きて
    永久に栄えよ   我等のロータリー

例会

会長の時間

皆さんこんにちは!先週はお盆期間ということで、帰省やお墓参り等をされた方も多いと思います。

「盆」という言葉は、仏教の「盂蘭盆会」の行事に由来し、これは釈迦の十大弟子の一人である目連が餓鬼道に堕ちた亡母を秘法により天上界へ昇天させた伝説に基くものだそうです。そこに日本古来の祖霊信仰が融合したものがいわゆる「お盆」と言われるものです。

ところで、日本古来の祖霊信仰とはどのようなものなのでしょうか?原始・古代の日本に住む人々は既に素朴な形で祖霊信仰を行っていたようです。縄文時代(前14000年頃 – 前10世紀頃)前期に成立した大規模集落である青森県の三内丸山遺跡には、集落の中心部へ向かう道沿いに整然と土坑墓が並んでいて、集落を守護する意味合いがあったのではと考える研究者もいます。また、縄文時代の中期からは中部や関東地方に環状集落が発達しますが、この集落は中心に墓地がありその周縁に居住地を配置する形式をとっています。ここからは、死者を穢れたものとして扱わずに、むしろ積極的に祖先を崇拝の対象としていることが指摘されています。その他、竪穴住居の入口付近に埋葬している例も各地で見つかっています。

このような原初の死生観を基礎にして、柳田國男が『先祖の話』で述べているように、日本には「人は死しても霊は遠くへ行かず、故郷の山々から子孫を見守り、祭祀の際には「家」に帰ってくる」という観念が育まれていきました。日本で初めて盂蘭盆会が行われたのは、日本書紀に記載された斉明天皇3年(657年)か、あるいは聖武天皇の天平5年(733年)に行われた宮中行事がそれにあたるとされていますが、一般庶民にも広がったのは江戸時代(1603年 – 1868年)に入ってからだそうです。したがって、日本における「お盆」は、祖先を弔うだけでなく、現在の生も再生・発展させるものという意味合いが多分にあるのだと思います。いわば過去と未来を脈々と発展的につなげていくものではないでしょうか?

そういった意味で、このお盆期間が会員の皆さんの過去を振り帰り、将来の発展にむけたよい契機になれば幸いです。

※日本の伝統的な生死観や宗教観に興味がある方は、柳田國男著『先祖の話』の他に、私の師でもある熊谷 保孝先生の著作『日本上代の生死観』(渓水社、2009)を是非ご一読ください。

例会

幹事報告

会長エレクト選出につきまして

次期会長として長澤友滋氏が立候補され、過半数の投票を得られました。
会長エレクトに長澤友滋氏選出決定しましたことをご報告いたします

第53回 ロータリー研究会 ご案内および登録について

拝啓 猛暑の候、皆さまにおかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
今年度の第53回ロータリー研究会は、2024年12月12日(木)~15日(日)までの4日間、パシフィコ横浜にて開催いたします。
本研究会は、ステファニーA.アーチック会長、マーク・ダニエル・マローニーTRF管理委員長にご出席いただく予定になっております。
また、これからのロータリー活動の糧としていただくよう、パートナーの皆さまやローターアクトクラブ地区代表(注1参照)、ガバナー補佐、元・次期ガバナー補佐、地区委員長、クラブ会長(元・現・エレクト)の皆さまにも広くご参加を呼び掛けております。どうぞ奮ってご参加いただきますようご案内申し上げます。

なお、ご登録、お支払いにつきましては、例年どおり貴地区ガバナー事務所で取りまとめていただくことをお願いしております。
ホテルの宿泊につきましても、貴地区ガバナー事務所で取りまとめて、ロータリー研究会事務局にお申し込みいただくことにしております。しかしながらホテル需要の高まりによりまして、早期のご案内となりました。
何とぞご理解とご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

敬具

ご案内対象者

【ロータリー研究会の登録資格者及び資格者に準ずる皆様】
元RI会長、元RI理事、
地区ガバナー、パストガバナー、地区ガバナーエレクト、地区ガバナーノミニー、
地区ガバナーノミニー・デジグネート
およびそのパートナーの皆様

【本年度、ゲストとしてご出席いただきたい皆様】
1) 地区ならびにクラブにおいてリーダーとしてご活躍の皆様
ガバナー補佐、元ガバナー補佐、次期ガバナー補佐、
地区委員長、委員
クラブ会長(元・現・エレクト)ならびにパートナーの皆さま

2) ローターアクトクラブ地区代表
*RIの正式メンバーであるローターアクトクラブ(RAC)地区代表のご参加を
推奨いたします。ただし、登録料等のご負担については、所属地区に特別のご
配慮をお願いいたしたいと存じます。

3) ローターアクターならびに米山記念奨学会の皆様

例会

委員会報告

お世話になっております。ロータリー米山記念奨学会です。

今月の“ハイライトよねやま”ができあがりましたので、お送りします。
ぜひご覧いただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

▼全文は、こちらよりご覧ください。
http://www.rotary-yoneyama.or.jp/content/uploads/summary/highlight293_pdf.pdf

(公財)ロータリー米山記念奨学会ニュース
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★ ハ イ ラ イ ト よ ね や ま 293号 ★  2024年8月13日発行
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::今月のトピックス::
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・ モンゴル米山学友会 創立10周年記念式典開催
・ 2025学年度奨学生の募集を開始
・ 寄付金速報 ― 2024-25年度の始まりは? ―
・ ベトナム南米山学友会 第1期総会開催
・ 「再会in関東」実行委員会 寄付&復興ボランティア

《今月のピックアップ記事》
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「再会in関東」実行委員会 寄付&復興ボランティア
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昨年8月に茨城県つくば市で開催された米山学友による世界大会「再会 in 関東」
実行委員会が、米山梅吉記念館への寄付、そして、能登半島地震で被災した
学校へのスポーツ用具寄贈を行いました。

6月9日、第2590地区米山奨学委員会主催の新規米山奨学生の米山梅吉記念館訪問に
あわせて、「再会in関東」実行委員会メンバーの朴貞子さん(2006-08/岸和田RC)、
何玉翠さん(1987-89/奈良RC)、崔玉芬さん(2007-08/大洗RC)の3人で
記念館を訪問。「再会in関東」実行委員会から記念館へ寄付金を贈呈しました。

そして7月12日、朴さんは第5代よねやま親善大使の陳瑶さん(2012-14/四日市東RC)と
ともに石川県七尾市を訪問。七尾RCの例会に出席した後、甚大な被害を受けた
七尾市内の鵬学園(おおとりがくえん)高等学校を訪れ、スポーツ用具(バレーボールネット、
バドミントンラケット等)の寄贈を行いました。13日は同市で復旧支援ボランティア
として、がれきの撤去・運搬作業に参加。自らの目で七尾市の現状を見た朴さんは
「実際に作業をしてみると、まだ復興への道のりは非常に遠いと痛感させられました」と、
述べました。

その他の記事は、ぜひPDF版をご覧ください。
→ http://www.rotary-yoneyama.or.jp/content/uploads/summary/highlight293_pdf.pdf

以上

※メールアドレスの変更、配信解除などのご希望がございましたら、
お手数ですが、このメールの返信にてお知らせください。
よろしくお願い申し上げます。

…………………………………………………………………………
公益財団法人ロータリー米山記念奨学会
事務局長 峯 純子
編集担当 長尾
Tel:03-3434-8681  Fax:03-3578-8281
問い合わせメール: [email protected]
米山記念奨学会ホームページ: http://www.rotary-yoneyama.or.jp/
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例会

卓 話

日本のロータリーはなぜ君が代を歌うのか?

HYOGOロータリーEクラブ
児玉貴春

皆さんこんにちは。毎日35℃の猛暑が続いていますが、日本はこんなに暑い国だったかな?と不思議な気持ちで熱中症に気を付けながら日々過ごしています。
今回の卓話は、たまたま地区の委員会で雑談していた時「日本のロータリーはなぜ君が代を歌うのか?」のような?話になり、数年前に卓話したことがあったので、そのいきさつを話したところ、何人かにもっと詳しく聞きたいとの声を頂いたのがきっかけです。
コロナ前の阪神第3グループIMに参加した際、安平パストガバナーが講演された「日本のロータリー100年を振り返って/その栄光と苦難の歴史」について感銘を受けましたので、自分なりに編集、アレンジしてお伝えします。大きくは、

① 日本のロータリーの誕生
② 日本のロータリーの発展
③ ロータリーの日本化
④ 国際ロータリーからの脱会(★なぜ君が代を歌うのか?)
⑤ 解散後の戦時中の活動
⑥ 国際ロータリーへの復帰
⑦ 復帰後の日本のロータリーの発展
⑧ ロータリーの増強拡大の停滞とその原因
⑨ 新たな100年に向けての課題

の九つの項目に分けて講演されましたので、それぞれのポイントを記しました。

① 日本のロータリーの誕生
1917年 政府の米国財政調査団に三井銀行重役の米山梅吉が同行し、日本人ロータリアン第1号三井物産子会社社長である福島喜三次(テキサス・ダラスRC)に会い、その時聞いたロータリークラブの話に関心を寄せます。
福島は1920年に帰国の際、日本にロータリークラブを作るよう、国際ロータリーから委任状を出され、米山に相談し、ウイリアム・ジョンストンの協力を得て、1920年10月20日に東京クラブを発足させます。1921年4月1日にRIの認証を受け、初代会長に米山梅吉、幹事に福島喜三次で日本初のロータリークラブ誕生です。会員数24名でした。深井日銀理事、樺山日本製鋼社長を始め有力な実業家ばかりそろっていました。その2年後、大阪ロータリークラブが2番目として設立されています。

②日本のロータリーの発展
当初のクラブ運営は野放図だったようです。例会は月1回 第2水曜日で、2回目の例会は、1920年11月10日、3回目は翌年2月9日という具合に。しかし1923年9月1日に関東大震災が発生。死者9万人、負傷者10万人の未曽有の惨事でした。その時のガイガンディカーRI会長から、見舞いの電報と、2万5千ドルの救済資金が送られ、全世界から邦貨換算8万9千円の義援金(当時の1円=今の4~5千円 現在価値で3~4億円?)、救済物資が届きました。東京孤児院内にはロータリーホームも出来たそうです。この時以降、標準ロータリークラブ定款に基づいた毎週1回の例会開催になりました。
当時の日本はRIの直轄クラブでしたが、1924年にRIが米山梅吉をスペシャルコミッショナーに任命し、1924年8月 神戸クラブ、同年12月 名古屋クラブ、1925年9月 京都クラブ、1927年 横浜クラブが設立されることになり、6大都市にすべてロータリークラブがそろいました。
1928年7月に米山梅吉が初代ガバナーに選ばれ、その後三選。1935年以降、毎年交代制になります。同年、ポール・ハリス夫妻が来日し、横浜、東京、京都、大阪、神戸を訪問し、神戸港からマニラでの第5回太平洋大会に出港。この時、東京の帝国ホテルの前庭に月桂樹を植樹しています。

③ ロータリーの日本化
1928年10月第2回太平洋会議で、大阪クラブの土屋大夢(元作・大阪時事新報)が、「ロータリー以前の偉大なロータリアン」として、二宮尊徳の「報徳教の教え」と「最も奉仕する者、最も報われる」との同質性を指摘するなど、ロータリーを日本風に解釈しようという機運が高まります。1935年京都の第7回年次大会で日本語のロータリーソング「奉仕の理想」「我等の生業」が発表されました。

④ 国際ロータリーからの脱会
1929年の世界恐慌とともに軍国主義が台頭してきます。1931年 満州事変、1932年 5.15事件、1933年 国連から脱退、1936年 2.26事件、1937年 日華事変、1938年 国家総動員法、こうした中で秘密結社フリーメイソンとの関係を疑われ干渉、圧迫を受けます。例会に憲兵や、特高警察が出席を要求したり、例会のスピーチも事前に警察に届け出ることを強制されたりしました。これによって、国旗日の丸掲揚と、国家君が代斉唱の慣行ができたと言われています。
弾圧により、ドイツのロータリークラブは1937年に、オーストリア、イタリアのロータリークラブは1938年に解散し、日本も1940年 静岡クラブ、大阪クラブが解散。米山梅吉も軍当局から、「ロータリーの組織は日本帝国に対する反逆である」と呼び出しを受けました。その後、岡山、京都、広島、高知、金沢と解散が続き、1940年9月11日の東京クラブ解散をもって、日本のロータリークラブ(48クラブ・2142名)はすべて解散、RIから脱会となりました。

⑤ 解散後の戦時中の活動
解散後、戦時中も
・東京水曜クラブ ・大阪金曜会 ・神戸木曜会 ・福岡清和会 ・名古屋同心会
・横浜同人会 ・岡山水曜会 ・札幌職能クラブ ・高松木曜会 ・今治木曜午餐会
・高知火曜会など
「まるで隠れキリシタンのように」例会活動を続けました。

⑥ 国際ロータリーへの復帰
戦後、各クラブ会長から復帰要望の書簡を送るも国際ロータリーへの復帰はなかなか認められず、1946年4月 米山梅吉死亡、1946年9月 福島喜三次死亡、1947年1月 ポール・ハリス死亡。1947年3月 「ロータリー復帰協議会」が結成され、小松隆会長が、同年7月の第1回協議会にて「戦前のロータリークラブで現在も例会を続けているクラブは、18クラブ、1050人」と報告。1948年7月 RI理事会は、ジョージ・ミーンズ副事務総長に日本の調査を指示。9月に来日し、東京、神戸、大阪、京都の各曜会の例会に出席し、1949年1月のRI理事会に報告。
1949年1月 RI理事会が復帰を認める決定をします。その時の復帰の条件が、
(1) 現在の各曜会、クラブの解散
(2) 国際ロータリーの定款、細則を厳守
(3) 国際ロータリーへの義務を完全に履行
でした。

⑦ 復帰後の日本ロータリーの発展
1949年 復帰7クラブと20の戦前クラブの復活、西宮、一宮、小倉各クラブの新設。1950年15の戦前クラブの復活と姫路など13クラブの新設。1952年7月から地区が東西(東日本60地区38クラブ・西日本61地区28クラブ)に分割されました。1952年「ロータリーの友」が創刊され、ロータリーソング「手に手つないで」が発表されました。1953年10月 第61地区第2回地区大会(神戸)の前夜懇談会(オリエンタルホテル)にて、小曽根真造ソングリーダーのもと、輪になって「手に手つないで」を歌ったのが今日の慣行になったそうです。
1955年 4地区に分割、その後もクラブの増加に伴って地区を分割、現在34地区(ゾーン1A~3)になり、2019年10月末時点で、クラブ数2252、会員数89,394人。
日本からのRI会長が、東ヶ崎潔(1968-69)、向笠広次(1982-83)、田中作次(2012-13)の3名が経験し、日本における世界大会が、東京(1961・1978)、大阪(2004)の3回開催されました。

⑧ ロータリーの増強拡大の停滞とその原因
⑨ 新たな100年に向けてのロータリーの課題
この二つの項目を合わせて記しますと、
まずは世界のロータリー会員数の推移が、

2002年6月30日    124万3431人
2016年7月 1日    120万7913人
2017年7月 1日    120万2937人
2018年7月13日    120万1005人
2019年11月20日    122万1067人

続いて日本のロータリー会員数の推移が、

2000年6月末      12万0864人
2016年7月末       8万8572人
2017年7月末       8万8813人
2018年7月末       8万8956人
2019年7月末       8万9394人

となっています。
ビチャイ・ラタクル元RI会長(02-03)によれば、
「ここ数年においてロータリーの会員数が降下をたどっていることから、私たちは会員の勧誘に必死になるあまり、ロータリーの会員基盤の原則の真髄を忘れがちになっている。職業分類の原則は無視され、会員の資格にも注意が払われていないのが現状である。永遠の原則を守らなかったがゆえに、私たちは永遠の価値観を失ってしまっている。」
「このようにして、今日、企業経営者たちからすると、ロータリーも、数多ある他のクラブと何ら変わりがない。」と述べています。そして
「今、私たちがなさなければならない仕事とは、ロータリーへの揺るぎない信念、新たなる信念を同胞のロータリアンに与えることである。」
「全てのロータリアンは、ロータリーの会員になることは、ゴルフクラブや囲碁クラブの会員になることとは異なるのだとする信条を支持する必要がある。」
「つまり、基本的な原則に戻り、過去100年余りにわたり、親睦と奉仕において私たちのクラブの発展に寄与し続けてきた永遠の価値観を尊ぶことである。」
「誰が『ロータリー』を必要としているか、皆さんと私と世界中のロータリアンである。」と述べています。
ラタクル元会長が考える課題、方向性を列挙してみます。
・公共イメージ向上のために莫大な金(140万ドル)を使うのなら、それを必要とする人のために使うべき
・ロータリーの公共イメージは、その行動、高潔さ、誠実さ、そして会員の資質によってのみ受け入れられる
・職業奉仕こそが、ロータリアンが自分たち自身の生活している社会をより良くするために一番よく行動することができ、もっとも貢献できる領域であると確信する

そして講演の締めとして、

覚悟を決めて、何よりも「ロータリーの人生哲学」(利己と利他の調和の哲学)を実践することは、必ずや、やがては巡り巡って自らの人生を明るく照らし、いずれは自己の職業を隆々と栄えさせるのだという信念とロータリアンとしての誇りを持って、どっぷりとロータリーの世界にはまってみませんか。
そこに、必ずや、素晴らしい「ロータリー人生」が開けることに間違いありません。

と結ばれました。当初はもしかしたら、少し居眠りしてしまうかもと思っていましたが、予想に反して、とても興味深く時間を忘れて聞き入ってしまいました。特に、RIを脱会した戦時中も例会を続けていたというのが印象的で、100年続いてきた日本のロータリーの歴史の重みが伝わってきました。未来のロータリーも、この歴史を訪ねてこそ、どうあるべきかが見えてくるのではないでしょうか。

例会

おわりの点鐘

例会

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