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MAKE UP

第308回例会

Rotary E-club of HYOGO

2021年3月15日開会

3月は水と衛生月間です

はじめの点鐘

はじめの点鐘

ロータリーソング

SAA: 今週のロータリーソングは、「R-O-T-A-R-Y」です。元気よく歌いましょう。

  • ♪ R-O-T-A-R-YOpen or Close

    R-O-T-A-R-Y
    That spells Rotary;
    R-O-T-A-R-Y
    Is known on land and sea;
    From North to South,from East to West;
    He profits most who serves the best;
    R-O-T-A-R-Y
    That spells Rotary.
    R-O-T-A-R-Y
    That spells Rotary;
    R-O-T-A-R-Y
    Is one great family;
    Where friend-ship binds for man’s up-lift.
    Where each one strives his best to give,
    R-O-T-A-R-Y
    That spells Rotary.

例会

会長の時間

皆さん、こんにちは。
2020-21年度3月第3回例会、通算第308回例会です。

ポカポカ陽気の春らしい日が多くなってき来ました。東京では桜が開花したらしいですね。休みに行きつけのカフェでまったりしていると、ふと、懐かしくて、しかもホッコリする記事がありました。
「鉄の爪」「人間発電所」「白覆面の魔王「インドの狂える虎」」、この言葉でピンとくる方は、人生経験豊富な、先輩諸氏?ではないでしょうか(笑)。そう、往年の名プロレスラーのニックネームです。この中で、個人的にもピンと来たのは、「インドの狂える虎」でした。
確か、「タイガー・ジェット・シン」としてターバン姿で、サーベルを振り回し大暴れしていて、かなり嫌いなタイプの選手でした(笑)。
このインドの虎がカナダで運営する財団を、日本の在トロント総領事館が表彰しました。
募金活動を通して東日本大震災で被災した子供たちを支援し、日本との友好親善に貢献したことが理由との事。授与式でシンさんは「苦しんだ人たちが少しでも平穏や幸せを感じてくれるように。出来ることをやっている」と語っていました。プロレスの世界では「ヒール(悪役)」だった人が実は「ベビーフェイス(善玉)」であり、ヒーローだったという話もよく聞きます。リング上の姿は演じているものだから当たり前ですが、その人の本当の姿や気持ちは、悩み苦しんでいる人を目の前にしたときにこそ表れますね。

さて、3月の13日~19日の1週間は、「世界ローターアクト週間」です。それにちなんで、祖国の紛争から逃れてきた若いローターアクターたちが、ウガンダの難民施設で人々に寄り添い文化を作る記事をご紹介します。
とある月曜日の朝、ウガンダ最大級の難民施設「ナキバレ難民居住地」にあるポール・ムシャホさんのお店には、外まで行列ができています。彼は、2016年、祖国コンゴ民主共和国での暴力行為から逃れてこの地にたどり着きました。26歳のムシャホさんは、物腰柔らかで、IT系の学位を有しており、住居を兼ねた木造の店舗で送金サービスのビジネスを営んでいます。ムシャホさんは、コンゴ、ブルンジ、ソマリア、エチオピア、ルワンダ、南スーダンなどからの難民に対し、携帯電話を使ってウガンダ国外の家族や知人からお金を受け取れるというサービスや、両替サービスを提供しており、ビジネスは大繫盛しています。
ムシャホさんは、地域社会に住む人々の暮らしを良くしたいと願う若き起業家であり、生粋のローターアクター(ロータリーが支援する18~30歳までのリーダーの組織メンバー)なのです。
しかしムシャホさんの背景や所属するクラブの状況は極めて異例です。彼の所属する「ナキバレ。ローターアクトクラブ」は2016年下旬に設立され、翌年7月に正式に発足しましたが、難民居住地や難民キャンプを拠点とするローターアクトクラブとしては世界初といわれています。クラブのメンバーや難民の生活にとってナキバレローターアクトクラブとは、紛争でも自分たちの夢をあきらめなかった若者たち、祖国を離れた人々の人間愛が存在する国家、そして想像を絶する悲劇を経験した人々を支える奉仕の精神の上に成り立つ団体なのです。
「難民は変化を起こす人々である」という発想が最終的にローターアクトクラブの設立へとつながりました。そもそもムシャホさんがローターアクトの存在を知ったのは、難民居住地の若者が企画案を競うイベントで、850人の中から選ばれた13人の中の1人なのです。
入選したムシャホさんの企画案「蜂蜜を販売する養蜂ビジネス」には、少額の創業資金が贈られ、発表の機会も訪れました。そのイベントは、60人以上のロータリアンが出席しました。その中で、米国ローズヒル・ロータリークラブのアンジェラ・アイファートさんが、12歳~18歳を対象としたインターアクトクラブの創設を提唱していましたが、この13人の入選者が地域社会のリーダーであると考え、ローターアクトクラブの創設となったのです。
ムシャホさんは、謙虚で人を惹きつける力もあり、流暢な英語も話し、他の入選者の間に入ってアイディアの共有を進めたり、地域社会を支えていこうという気概に満ちあふれていましたので、クラブの会長を要請したのでした。
ローターアクトといえば、私も数年前、飲食店の責任者としてアルバイト面接をした際、その大学生は「土曜日はボランティア活動があるので休ませてほしい」というので、「差し支えなければ、もしかしてローターアクトとかですか?」と聞くと、まさにその通り。彼は、地元のローターアクトクラブ会長をしていたのです。面接中なのに、お互いロータリー話で盛り上がった記憶がよみがえりました。

クラブテーマ「もっと知って、もっと楽しもう」。今週もよろしくお願いします!
2020-21年度
HYOGOロータリーEクラブ
会長 児玉貴春

例会

幹事報告

地区大会お礼

いつもお世話になっております。

添付にて、地区大会お礼状を送付いたします。
よろしくお願いいたします。

ガバナー事務所 小林

「コーディネーターニュース」2021年4月号

日頃より大変お世話になっております。
コーディネーターニュース2021年4月号」をご送付させていただきます。

地区ガバナー事務所の皆様におかれましては、誠にお手数をお掛けいたしますが、
本ニュースを貴地区の会員増強委員長、公共イメージ委員長、ロータリー財団委員長の皆様宛てにご配信していただけますようお願い申し上げます。

何卒宜しくお願い申し上げます。

コーディネーター一同
配信:国際ロータリー日本事務局 | クラブ・地区支援室

例会

委員会報告

文字が小さく見づらい方、スマートフォンの方はこちらからご覧ください

例会

卓 話

WHOアフリカ地域の野生型ポリオウイルス根絶:認定にいたる道のり

課題の多い状況の中、そこには困難を乗り越えようと奮闘するロータリー会員とパートナー団体の姿があります

1997年5月、当時のアフリカ地域ポリオプラス委員会メンバーでガーナ出身のサム・オクズエトさんは、アフリカのポリオ根絶に関する年次会合に出席するため、シエラレオネ行きの飛行機に搭乗していました。飛行機は空港に無事着陸。しかし座席の窓から外を覗くと、大勢の兵士たちが駐機場で銃を構えている光景が目に入りました。

入国審査へと向かいながら「一体何が起こっているのか」と空港の職員に尋ねると、こう返ってきました。「耳をすませてください。発砲音が聞こえるでしょう」。その日の午前にクーデターが発生していたのです。

「とにかく聞こえてくるのはバン!バン!バン!という銃声だけでした」と、当時を振り返るオクズエトさん。「気がつくと、乗ってきた飛行機の姿はもうありませんでした」

タクシーも走っていなかったため、オクズエトさんと他の会合参加者たちは、近くのホテルまで徒歩で向かいました。ホテルの部屋に荷物をおき、レストランへ向かったオクズエトさんは、「これまでの人生で一番大きくてジューシーなシタガレイという魚を注文しました。これが人生最後の食事になるかもしれないと思ったからです」(幸い4日後にオクズエトさん一行はヘリコプターでシエラレオネを出国)。

「生きていく上での敵、それは‟不安“です」とオクズエトさん。「恐れを知らない人でさえ、行動力でこれほどのことが達成できることに驚くでしょう。『これ』とは、アフリカでの野生型ポリオウイルスの根絶です」

2020年8月、世界保健機関(WHO)が、アフリカ地域での野生型ポリオウイルスの根絶を認定。これは、何百万人ものロータリー会員、保健従事者、政府関係者、伝統的指導者、宗教指導者、そして親たちによる数十年に及ぶ懸命な取り組みの成果といえます。アフリカ全土で推定75,000人の子どもが野生型ポリオによってまひを患った1996年以降、保健従事者たちが90億服以上の経口ポリオワクチンを投与し、180万人もの野生型ポリオの症例を防いできました。

「みんなが力を寄せ合った」と語るのは、ナイジェリア・ポリオプラス委員会で長期にわたって委員長を務めたガストン・カバさんです。「ボランティアや町のまとめ役など、大勢の人が動いてくれました。見えないところで地道に頑張ってくれた人たちが、この快挙を実現へと導いたのです」

 

こうした取り組みから生まれた成果が、独自の保健医療インフラです。これは、現在のコロナ禍において重要な役割を果たしており、今後起こりうる公衆衛生の危機にも対応できる能力を備えています。また、ポリオウイルスの追跡を目的とする研究所と監視システムのネットワークは現在、他の疾病のモニタリングに活用されています。予防接種従事者たちも、通常の予防接種を増強しつつ、虫下し薬や経口補水塩を供給するなど、さまざまな保健サービスを提供しています。もちろん、子どもへのポリオワクチン投与を中断することはありません。ポリオウイルスが地球から根絶されるまでは、再び蔓延する危険があるからです。「(アフリカ地域での)ポリオ根絶宣言は素晴らしい快挙です」。エチオピア・ポリオプラス委員長のテゲスト・イルマさんはこう語り、次のように続けます。「嬉しいことですが、まだまだ気は抜けません」

大きな課題は残されていますが、アフリカ地域における野生型ポリオ根絶は非常に大きな達成です。ロータリー会員とパートナー団体はこれまで、苦境や挫折に直面しても、熱意と決意で局面を乗り越えてきました。そのストーリーを以下にご紹介します。

そもそも、ボコ・ハラムは予防接種を悪だと決めつけ、多くの医療施設を破壊しました。予防接種に対する考え方がまったく異なっていたのです

コートジボワール全土で内戦が勃発した2005年2月、マリー-イレーヌ・リッチモンド-アフアさんは、反乱勢力が支配する地域の中心部に足を踏み入れました。全国ポリオプラス委員長を務めていた彼女は、ブアケ行きの国連機でロータリーのパートナー団体の代表者たちと合流。ブアケは当時、反政府組織の本拠地でした。「反乱勢力のリーダーたちと会い、一斉予防接種の期間中は平穏を保つよう、直談判しました」と、リッチモンド-アフアさんはを振り返ります。さらに、予防接種従事者らを守るために護衛をつけるよう、反政府組織に協力を求めました。「幸い、彼らは私たちの要請に応じてくれました。予防接種を実施した5日間は何事もなく、子どもたちにワクチンを投与できました」

長年、「安全の確保」がアフリカでのポリオ根絶にとって最大の課題の一つとなっていました。ロータリーとパートナー団体は、保健従事者が紛争地域のすべての子どもにワクチンを投与できるよう、紛争の中断と軍隊による護衛を求めて交渉を続けました。この努力が実を結び、1994年と1996年、反政府組織のスーダン人民解放軍(SPLA)とスーダン政府が、「平和の回廊」を守ることに合意。これにより、予防接種従事者が安全に移動できるようになりました。2年後には、ポリオプラス補助金により、15年間も政府の保健従事者が不在だった村にワクチンを空輸できるようになりました。内戦により人口の3分の1に行政サービスが行き届かなくなったウガンダでは、1985年にウガンダ政府と国民抵抗軍(NRA)の間で交渉が成立し、反政府組織の支配地域でUNICEF機の離発着が認められました。さらに1999年後半には、コフィ・アナン国連事務総長(当時)が、当時シエラレオネ全土で発生していた内戦を一旦休止し、全国予防接種日の活動を無事に進められるよう掛け合った歴史もあります。

しかしその後も、内戦や紛争によりポリオ根絶活動は何度も足止めされました。ナイジェリアでは、2014年7月以降、野生型ポリオの症例は報告されていませんでした。ところが、過激派組織「ボコ・ハラム」が、ボルノ州(同国北東部)の支配地域における予防接種従事者の立ち入りを認めず、その状態が数年間も続いていました。「そもそも、ボコ・ハラムは予防接種を悪だと決めつけ、多くの医療施設を破壊しました。予防接種に対する考え方がまったく異なっていたのです」。2013年からナイジェリア・ポリオプラス委員長を務めるツンジ・フンショさんは、こう説明します。ボルノ州でポリオが再燃したにもかかわらず、ワクチン未接種が続き、2016年、ついに同国で4人のポリオ症例が確認されました。

しかし、ナイジェリア政府、そしてもちろんロータリーやパートナー団体、保健従事者、ボランティアは決して引き下がりませんでした。この時、予防接種活動で重要な役割を果たしたのが、ナイジェリア陸軍です。「ヒットエンドラン」と銘打った作戦では、まず陸軍部隊が活動地域の安全を確保した後、予防接種従事者たちが2日以内に手際よく子どもたちにワクチンを投与します。後には、陸軍の役割を現地の民兵組織が引き継ぎ、予防接種従事者たちを護衛しながら危険地域に同行しました。現在は、陸軍医療部隊の隊員たちが、危険で民間人が立ち入ることのできない居住地区までワクチンを運び、子どもたちに投与しています。「ナイジェリア軍は自分たちの役割を熟知している」とフンショさんは話します。

フンショさんは、ナイジェリア最後の野生型ポリオ患者となった子どもの自宅を訪ねたことがあります。内乱に翻弄され罪のない犠牲者であるその子を思い出しながら、次のように語ります。「ただでさえボルノ州で暮らす3歳の女の子にとっては、教育を受ける機会や、社会的な生活を送ることなど、今後の人生を最大限に歩める可能性はすでに非常に低いのです。そのような状況で、さらにまひを患ってしまったその子は、一体何を希望に生きていけばよいのでしょうか?本当に心が痛みます」

フンショさんによると、ナイジェリアでは予防接種を阻む壁がもう一つありました。それは、2000年代初頭から同国北部で長い間広まっていた経口ポリオワクチンの安全性にまつわる誤情報です。予防接種に懐疑的だった政治指導者や宗教指導者たちが、親に対し、予防接種を拒否するよう触れ回っていたのです。反ワクチン運動の誤った考え方と、西側諸国がイスラム教徒を不妊症にしようと企んでいるという陰謀論が入り混じり、このような噂が立ったのです。「実はこの噂の起源はナイジェリアではありません。もともとは外国から入ってきたもので、後にナイジェリアで話題となり、大きく広がりました」とフンショさん。「その結果、予防接種は子どものまひを防ぐという目的から外れて、政治の道具として利用されるようになってしまいました」

状況はさらに悪化し、ナイジェリア北部の複数の州では、ワクチンの安全性を当局者が証明するまで予防接種活動をすべて中止。1年2カ月もの間、同国で全国予防接種日が実施されませんでした。ポリオ根絶に本腰で取り組む政府は、イスラム教の指導者たちを混じえた委員会を設置し、ポリオワクチンの安全性を実証することにしました。まず、ワクチンの製造工場を見学してレポートを作成し、噂の中心であったカノ州では、政治指導者や宗教指導者以外の人にもワクチンの安全性を説明し、納得してもらいました。また、現地当局者も、保健の専門家や宗教学者から成る委員会をインドネシアへ派遣し、イスラム教国家である同国でのワクチン製造をその目で見てもらい、安全性を訴えました。

一方で、ロータリー会員もワクチンに関するアドボカシーと一般市民への啓発活動を継続。カノ州の首長であった故アド・バイェロ氏もカノ・ロータリークラブを支援しましたが、同氏の専属医だったのが、前述のフンショさんでした。ナイジェリアで有数のイスラム教指導者であったバイェロ氏は、まさに「ロータリーの心強い支援者」だったと、フンショさんは語ります。「彼は、ロータリーが危険なものを投与するはずがないと知っていました」。バイェロ氏は、市民が見守る前で自分の孫たちに自らの手でワクチンを投与し、経口ポリオワクチンの安全性を訴えたのです。「この様子がメディアでも頻繁に取り上げられました」とフンショさんは言います。

国民の99%がイスラム教徒の隣国ニジェールでは、タンジャ・ママドゥ大統領(当時)が主要演説の中で、根強く残るワクチンへの誤解を払拭し、「2004年予防接種キャンペーン」の立ち上げを表明しました。ニジェールやナイジェリアで広く使用されているハウサ語で行われたこの演説は、予防接種の大切さを市民に効果的に伝える狙いがありました。「タンジャ氏は、そのメッセージに魂を込めて語っていた」と、ニジェール・ポリオプラス委員長だったカバさんは語ります。「彼が本気だったことは、コーランを引用したことからもわかります。コーランを冗談に使うことはありえません」。演説から1カ月後、ロータリーからタンジャ氏に「ポリオ根絶推進功労賞」が贈られました。

アフリカのポリオ症例数は、2000年代初頭まで減少傾向にありました。しかし、誤情報が広まり、予防接種が停滞した結果、ナイジェリアからおよそ20カ国にポリオウイルスが伝播。「しかしその後、対応が追いつくにつれて患者数が次第に減少し、ついにゼロを達成したのです」とフンショさんは言います。

エチオピアには80万人近い難民がいますが、その多くがエリトリア、ソマリア、南スーダンの出身です。「エチオピアの国境は警備が緩いため、隣国との往来が頻繁に行われます」と、イルマさんは語ります。エチオピア政府は、周辺国と連携して国境での予防接種を実施し、ポリオウイルスの流入を防いでいます。

エチオピアは、山岳地から広大な砂漠平原まで、アフリカでも地形の起伏が激しい国として知られています。一世帯だけのために保健従事者が数時間も歩かなければならなかったり、過密すぎてすべての子どもへのワクチン投与が難しい地域もあります。「ナイジェリアでは市民が予防接種を拒否するという事態が起こっていましたが、エチオピアはそうではありませんでした」とイルマさん。「しかし、エチオピアでは、移動人口の多さに加え、起伏の激しい地形により、予防接種は苦戦を強いられています」

数十年にわたるポリオ根絶では、アフリカ全土で数百万人の保健従事者が徒歩やボート、自転車、バスなどで移動しています。

数十年にわたるポリオ根絶では、アフリカ全土で数百万人の保健従事者が徒歩やボート、自転車、バスなどで移動しています。そのような活動を支え続けてきたのが、ロータリー財団からの補助金です。2000年には、アフリカ初となる複数国一斉予防接種キャンペーンが実施され、17カ国で7600万人の子どもにワクチンを投与しました。

全国予防接種日の期間中は、エチオピア国外からもロータリー会員がボランティアとして何度も足を運び、現地の仲間や地域社会のムードを盛り上げました。ボランティアとして駆けつけた会員たちは、他に必要なものが何かを把握し、ポリオ根絶活動と並行して、水プロジェクトや学校の支援も行いました。

「ポリオプラス」の「プラス」とは、ほかの保健問題にも同時に取り組むことを指していますが、フンショさんによると、これが現地の人びとの心を動かし、ポリオ予防接種を受け入れてもらうきっかけとなりました。ナイジェリアでは保健従事者が幾度となく子どもたちの元に足を運んでポリオ予防接種を行いましたが、安全な水がなくて苦しんでいたり、基本医療サービスを受けられない家族が多くありました。このためロータリー会員は、ロータリー財団の補助金を活用し、ソーラー電池式の井戸設備をまずボルノ州の難民居住区に、続いて周辺地域にも次々と設置しました。「このおかげで、ロータリーは地域住民から信頼される存在となりました」とフンショさんは話します。

1996年、この年だけで、アフリカ全土でおよそ75,000人もの子どもがポリオによりまひを患いました。実はその10年前、アフリカ各国の保健相らが、1990年までに全児童の75%にワクチンを投与するという目標に合意していました。しかし、地域経済の悪化や長期に及ぶ干ばつ、ほかの保健問題の優先、国力を消耗させた内戦により、その目標は立ち消えとなりました。ポリオ根絶を達成するには、強力な擁護者が必要でした。

そこでロータリーとパートナー団体は、ネルソン・マンデラ氏に注目しました。当時、南アフリカ大統領だったマンデラ氏にロータリーのリーダーたちが掛け合った結果、ポリオ根絶を支援してくれることになりました。1996年7月に開催されたアフリカ統一機構(現・アフリカ連合)サミットで、マンデラ氏はアフリカ各国首脳に対し、ポリオ根絶を緊急の優先とするよう強く提唱。その数週間後、マンデラ氏とロータリーのリーダーたちが「Kick Polio Out of Africa(アフリカからポリオをキックアウト)」キャンペーンを立ち上げ、サッカーの試合や著名なスポーツ選手の起用を通じてポリオ根絶への支援を呼びかけました。年末までに30カ国以上がこれに応え、全国や地方で予防接種日を開催。6000万人の子どもが予防接種を受けました。「アフリカ連合、とりわけマンデラ氏の協力は、本当に大きな意味がありました」とオクズエトさんは話します。

ロータリー会員たちは、自らの社会的立場や影響力を生かして、ポリオ根絶活動への積極的支援を自国政府に働きかけました。1996年から2014年までコートジボワール・ポリオプラス委員長を務めたリッチモンド-アフアさんは、こう話します。「安全保障と政治的意思が最大の課題でした。まず、市民社会やオピニオンリーダー、保護者、伝統的指導者、宗教指導者たちに納得してもらう必要がありました。ポリオは『できれば根絶したい』のではなく、『根絶しなければならない』ものだ、と」

ロータリー会員たちは、自らの社会的立場や影響力を生かして、ポリオ根絶活動への積極的支援を自国政府に働きかけました。

このようなアドボカシー活動は、決して華々しいものではありませんでした。各国の保健相や官僚と何度も会合し、ポリオウイルスがまだ根絶していないことを認識してもらう必要がありました。時には、ロータリー会員自身がワクチン反対派のリーダーたちを何とか説得し、市民の予防接種を手伝ってもらうことも必要でした。当時の様子について、リッチモンド-アフアさんが次のように教えてくれました。

それは2000年のこと。当時、コートジボワールではクーデターが発生していました。その後、新政府が樹立されましたが、全国予防接種日に対して消極的でした。このため、リッチモンド-アフアさんは、コートジボワール元首の自宅に予約なしで面会に行くことを決意しました。

到着後、クーデターで国を掌握していたロベール・ゲイ将軍の妻に会いたいと申し入れました。「その時は、まるで激怒しているかのような目で見られた」とリッチモンド-アフアさん。「しかし、必要とあればリスクさえ恐れないのがロータリアンです」。5時間以上も待たされた後、ついにファーストレディのローズ夫人との面会が叶いました。ここに来た理由を説明すると、ローズ夫人はその趣旨に全面的に賛同し、夫のゲイ将軍に全国予防接種日の大切さを訴えただけでなく、自身も活動に参加しました。「女性であり、親だからこそ理解してくれたのだと思います」とリッチモンド-アフアさんは言います。

アフリカ各国でポリオが政治課題の最優先事項であり続けるよう、ロータリー会員は日々アドボカシーに取り組んでいます。リッチモンド-アフアさんの行動も、そのようなストーリーの一つです。彼女はこう語ります。「アフリカでは野生型ポリオ根絶が実現しましたが、ロータリーの活動はこれからも続きます。世界からポリオを根絶するには、政治的意思を強く持ち続ける必要があります」

一方、カバさんは、タンジャ元ニジェール大統領(1999年~2010年)と一緒に地図を眺めた思い出を振り返りながら、こう話します。「ニジェールの国土は広大で、カリフォルニア州とテキサス州を合わせた規模で、その3分の2が砂漠地帯です。タンジャ元大統領は、『本当にこの国からポリオを根絶できるのか』と心配していましたが、私は『もちろんです。あなたの支援があれば根絶は可能です』と答えました」

地球上のどこかにポリオウイルスが存在する限り、飛行機でどこにでもすぐに飛び火する可能性があります。ナイジェリアでは、通常の予防接種率が十分ではないため、万一ポリオウイルスが他国から再び持ち込まれた場合、子どもたちが感染しないという保証はありません。だからこそ、今後も定期的に全国予防接種日を実施する必要があります。「現在は『Keep Polio at Zero(ポリオをゼロのままに)』をスローガンを掲げています」とフンショさんは語ります。

アフリカがポリオフリーの状態を維持し、残されたポリオ常在国であるアフガニスタンとパキスタンから野生型ポリオを一掃するために、私たち一人ひとりが役割を果たすことができます。ポリオプラスへのすべての寄付が、ポリオ根絶に向けた5000万ドルの目標達成を後押しします。このご寄付には、ビル&メリンダ・ゲイツ財団から2倍額が上乗せされ、世界のすべての子どもへのワクチン投与や医療に生かされます。ご寄付はendpolio.org/ja/donateからお願いいたします。

 

この卓話はMyROTARYに掲載された記事の引用です。ぜひこちらから全文をご覧ください

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