第260回例会
Rotary E-club of HYOGO
2020年3月2日開会
3月は水と衛生月間です
はじめの点鐘
ロータリーソング
SAA: 今週のロータリーソングは、「君が代」と「四つのテスト」です。元気よく歌いましょう。
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♪ 君が代Open or Close
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで -
♪ 四つのテストOpen or Close
真実か どうか
みんなに 公平か
好意と友情を深めるか
みんなのためになるかどうか
会長の時間
HYOGOロータリーEクラブ会長の長澤友滋です。
いつもありがとうございます。第260回例会でございます。
先週、2月22日、23日で開催を予定していた2680地区の地区大会が新型コロナウイルス流行感染阻止を理由に22日初日のみ開催と大幅なスケジュール変更がありました。その後も、PETSや各行事、例会などロータリー関係のスケジュールも続々と中止になり、大きな影響が出ている現状です。
世間でもコンサートやスポーツイベントの中止、突然の政府発表への賛否、トイレットペーパーが買い占めのデマ騒動など、ここ1週間で一気に空気が変わりました。経済的な直接的な打撃だけでなく、景気も心配です。景気の「気」は世の中の人々の「気持ち」「気配」「気分」など不確定要素も大いに関係するといわれています。気が沈んでいくことも心配であります。
しかしながら、誰かに責任を押し付けたり、批判していても何も起こりません。それは「思考停止」していることになります。
最大限の防御はしつつ、今こそ経済活動も、ロータリアンとして社会奉仕活動も、思考を止めることなく、できることを考えて行動できるようしよう!と思う今週でした。
幸い、当クラブはEクラブです。ネットでの例会開催ですので、飛沫感染もクラスターもありません。例会も休会しませんので、Eクラブとして今こそ特徴を活かせる点をしっかり示していきたいとおもいます。
では、何かと心配が多い3月スタートですが、今週も元気にがんばっていきましょう!よろしくお願いします。
幹事報告
地区大会のお礼
謹啓 向春の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。平素はロータリー活動に多大なるご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
このたびの地区大会におきましては、急激に悪化する新型コロナウィルス感染症対応のため、2月22日(土)のロータリーファミリーの集い、2月23日(日)の全行事を中止し、22日(土)の会長・幹事会に続く形でRI会長代理公式セッションを新設し、23日(日)の本会議プログラムの一部を移行するという苦渋の決断に至り、地区大会の開催を楽しみにされていた会員各位にご心配とご迷惑をおかけしましたことを、まず深くお詫びを申し上げる次第です。
会長・幹事各位におかれましては、かかる状況にも関わらず、地区大会にご出席頂き、RI会長代理からその熱心な姿勢にお褒めの言葉を頂戴するなど、地区大会を大過なく終えることができました。あらためて皆様のご理解とご協力に心より感謝申し上げます。当日の不行き届き、さらには失礼の段は、どうかご海容いただけましたら幸甚です。
本年度も地区大会という大きな節目を過ぎましたが、6月のホノルル国際大会を含め年度末までおよそ4か月を残しております。新たに当地区にも課された危機管理はもちろん、引き続き地区運営にお力添えいただきますよう、心よりお願い申し上げます。
末筆ながら、会長・幹事各位のご健勝とご活躍ならびに貴クラブ益々のご発展を祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます。
謹白
「復興フォーラム」の延期について
委員会報告
卓 話
体験記:What it’s like to…
第二次大戦で敵の手から逃れる
川越ロータリークラブ 今泉 清詞
ボロボロの靴を縄でぐるぐる巻きにして履いていた。小動物や野草を食べた時もあった。それでも私は、安全な場所にたどり着くことを願って歩きつづけた。自分も死ぬだろうと、毎日考えていた。明日には自分もこの世にいないかもしれない、そんな気持ちでいた。
同じ部隊の仲間のほとんどが、1944年、ビルマ(現ミャンマー)の国境に近いインパール(インド)での戦いで亡くなった。ほぼ全員、イギリス軍に囲まれて殺されたり、捕虜になったりした。私は、近くの川を渡る方法の調査を命じられたために生き残った。状況が違っていれば、私も死んでいただろう。
生き残った日本兵をイギリス軍が探していたので、私はビルマの山奥に逃れて潜んでいた。これは、第二次世界大戦の終戦間近のこと。当時は日本の勢いもなくなっていたので、食糧や兵器の補給は一切なかった。ほとんど何も残っていない状態で、険しい土地を日に20キロメートルほど歩いた。
やっと、ある家にたどり着いた。その家には一部屋しかなく、戸を開ければ家の中が全部見えてしまう。そこに住んでいた家族が私を家の中に迎え入れ、食べ物を与えてくれた。イギリス軍が来れば、寝台の下に隠れろと言ってかくまってくれた。イギリス人が去ると、「出ておいで」と言ってくれた。
終戦までは潜んで暮らしていた。移動しつづけたが、どこに行ってもそこの家族たちが私を迎え入れてくれた。イギリス軍に密告されるという心配はしていなかった。戦後になって、ほかの日本兵もミャンマー人たちにかくまってもらっていたことを知った。どこに行っても同じような話を聞いた。ミャンマー人たちは日本兵にとても親切にしてくれたのだ。
1946年に帰還し、ゼロから生活を立ち上げた。誰も開拓したがらない土地で農業を始め、何年も苦労した。誰もが貧しく、大変な時代だった。しかし、私は自分の経験から、生きようという気持ちさえあれば何とかなると知っていた。生き残る強さと意志が、私にはあった。その頃、ビルマの人たちの親切にどう恩返しできるかも考えはじめた。
その後、酪農を始めて生活も安定してきたので、『今泉記念ビルマ奨学会』を立ち上げた。日本に留学するミャンマー人学生のための奨学金制度で、1989年に最初の奨学金を授与した。現在までに200人ほどの学生が奨学金を受けている
日本に留学してくる学生たちの相談相手にもなった。目標は、祖国に繁栄をもたらすために必要な知識を身につけてもらうこと。次世代への投資こそ、赤の他人だった私を家に迎え入れてくれた人たちへの恩返しとして、私が思いついた一番の方法だった。戦友たちに安らかに眠ってもらうためにも、これが一番の方法だと思う。奨学金を受けた世代がミャンマーに平和と繁栄をもたらしてくれることを願っている。
聞き手:Vanessa Glavinskas, Reiko Tokiyama
おわりの点鐘
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